◆お風呂五十年史◆
其の二「内風呂化の時代(4)」
■中性シャンプーの発売、洗髪回数の増加
昭和三十年代に入ると、全石鹸生産が戦前の最高水準にまで回復しました。
洗顔・入浴石鹸が戦前の生産水準を超えたのは三十七年、この頃から乳児用から女性用高級美容石鹸まで、多種多様な石鹸が生まれ、高級であった石鹸も、一般家庭用のポピュラーな商品になりました。
三十年代には、洗浄力があり、やさしく洗える中性洗剤の技術を応用した粉シャンプーが誕生しました。
よく泡立ち、石鹸かすができず、毛髪にとってよい中性であることから、おしゃれ意識が高まりつつあった女性たちに爆発的な人気を呼びました。
この粉シャンプーは袋に入っていて、一回で使い切るタイプでしたが、髪の長さや汚れ具合によっては分けて使うこともあり、中身が湿気てしまうなどの不便さがありました。
そのため、三十四年にはチューブタイプが発売されました。
さらに、ポリ容器の開発が進んだこともあって、昭和三十五年には液体シャンプーが発売され、洗髪の簡便さが高まりました。
この頃、女性の間でショートカットが流行ったこともあって、それまで月に一〜二回ほどであった洗髪が五日に一度と増えていったようです。
また、石鹸洗髪をしていた男性も、テレビコマーシャルなどで商品認知度が高まったことや、液体になって使いやすくなったことから、少しずつシャンプーを使い始めるようになりました。
そして、シャンプーの普及と供に、日本人の清潔意識も高まっていきました。
■ケーロリンケーロリン晴ーれた空
現在でも、温泉やゴルフ場で時どき見かける「ケロリンの桶」。
昭和三十八年に。
内外成約の鎮痛剤として昔から親しまれてきた「ケロリン」のPRのために誕生しました。
当時、多くの人が集まる銭湯は、宣伝の場所として効果的であり絵看板やポスターなどがたくさん貼られたため、東京温泉で試験的に置いてみたところ、非常に好評だったことから全国展開されました。
サトウハチロー氏が作詞した「ケーロリンケーロリン晴ーれた空」というコマーシャルソングも話題を集めました。
この桶の人気が高まったことで日本全国の銭湯の桶も木製から合成樹脂のものへと変化していくことになりました。
各地のお風呂場に渡った数は、現在までになんと二百万個余り。
全国の銭湯桶の七割にあたる数といわれています。
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