お風呂五十年史


其の一「銭湯の時代(3)」

石炭や薪で焚いた時代

 戦争によって、都市ガスの施設も多大な損害を受けたため、昭和20年代前半は、お風呂を沸かす燃料として薪や石炭にも大きく依存していました。


 戦中から続いていたガス使用制限が、24年頃から解除され、また、戦時中は製作できなかったガスボイラー(ロケット状の円筒形のもの)も発売されましたが、高価ということもあって、旅館・ホテル等の業務用から導入されていきました。

同じように、この時代に開発された湯水混合水栓も、ホテルを中心に広まっていきました。


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貴重品だった石鹸

 枠練り※で作られた、本格的な銘柄石鹸が生産されるようになったのは、明治23年の花王石鹸(3個入り35銭)からでした。

その後、舶来品を含めて石鹸は家庭に浸透していき、第一次世界大戦後、生産力の落ちたヨーロッパに輸出されるまでに成長しました。


 しかし、戦争が激化した昭和17年から、原料の入手が困難となり、一転して石鹸は配給制になりました。

しかも粘土や白陶土(はくとうど)を増量剤として混ぜた「戦時石鹸」しか作られなくなりました。

これは、石のように固く、泡もできない石鹸でしたが、この頃の人々にとっては生活になくてはならない大変な貴重品でした。

一方、闇市などで出回っていたアメリカ製の石鹸は、香りも泡立ちもよく、当時の人々にとっては憧れのものでした。

25年頃から、ようやく原料の統制がなくなったことで、枠練りの使いやすい国産石鹸が、再び生産されるようになりました。


※枠練りとは
原料油脂をよく精製し、香料や色素などの添加物を加えた後、枠に流し込んで冷却・固化させる石鹸作りの方法



はじめてのシャンプー

 昭和初期の洗髪には、白土・粉石鹸・炭酸ソーダ等を配合した「髪洗い粉」を使っていました。

これを少しずつ手のひらに取り、髪にこすりつけるようにして洗っていたので、とてもとても使いにくいものでした。

昭和7年に初めて固形のシャンプーが誕生し、それは落雁(らくがん)状のもので、日本髪には一個、洋髪には半分使うように工夫されていました。

また、「今日は髪洗いの日」という広告を通して、洗髪の大切さが女性の間に広まり、シャンプーという言葉が日常語として使われるようになりました。

これらのシャンプーは、主に女性用のものと考えられており、男性や子供は、体と区別することなく、髪も石鹸で洗っていました。

しかし、戦後の混乱のなか、女性も身の回りのことをかまっている余裕がなかったこともあり、多い日でも、月に2〜3回の洗髪だったようです。


 20年代後半頃には、生活の向上と共に洗髪回数を少しずつ増えてきました。


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