湯煙コラム


■MONDAY満ちる(マンデイ みちる)
「ONSEN AND THE ART OF CLEANSING」


MONDAY満ちる(マンデイ みちる)

冬でも滅多に10度を切らないロサンゼルスで少女時代の大半を過ごしたので、体を暖める必要がなく、シャワーを浴びるのが日常でした。なので浴槽につかるのは友人の家やリゾートホテルでときどき泡風呂に入るぐらいでした。

その後成人して23才の時に日本に戻り、日本のお風呂カルチャーに再会しました。温泉文化のメッカの一つである別府で幼少期の4年間を過ごした私にとっては、失われていた芸術形式の再覚醒とでもいいましょうか。


仕事でいろいろな地方に行って、温泉がついているホテルや旅館があるとなれば"湯質調査"をしています。個人的なバスタイムに慣れてきた私にとって、全く赤の他人の前で裸になるシステムにはいささかショックを受けておりましたが、時間が経つにつれ静穏と喜びに満ちた温泉経験を重ねて行くと、温泉から立ちのぼっては消えていく蒸気のように、私の抑制心も消えていきました。ガラスの壁で自分を覆っていると想像しながら、更衣室からシャワー、浴槽と共同浴場での動作も熟練してきたと思うのですが、いまだに友達と温泉に入る時は困ってしまうことがあります。会話をしながら自分の目は相手の目に釘付けにし、うっかり体を見つめたりしない__この特異なアートフォームはまだ練習が必要なようです。


いくつか思い出ぶかい温泉もあります。1つは湯布院。湯布院の映画祭で女優として呼ばれて行ったときです。映画祭のオーガナイザーは信じられないほどシックな高級旅館のスイートを取ってくれました。そこは部屋に泳げるほどの大きな露天風呂があり、何往復も泳いだものです。

もう1つは日光。日光江戸村を継いでいる親しい友人が取ってくれたホテルで、日本と西洋がミックスされており、家族全員で泊まりました。すばらしいスイートルームで露天風呂は新鮮なヒノキ風呂でした。今でも主人と息子が浴槽につかっている写真を持っています。外には雪に覆われた山があり、ヒノキのにおいが漂ってくるようでした。 最後のひとつは群馬にある萱の家という温泉旅館で、結婚前に主人と行きました。前述の2つの場所とは対照的に、この温泉はもっとつつましやかでdown to earthな場所です。お料理は玄米菜食中心で、彼らの菜園で育てているオーガニック野菜を使用しています。わずか6部屋のみの旅館です。ここは私のお気に入りの場所の一つで、私たちが精神的に夫婦になった場所です。


私は今NYのロングアイランドに住んでいて、家には2つお風呂があります。スタンダードなアメリカ式の建物で、お風呂はいまいましいほど浅く、湯船につかった時には私の足を覆うぐらいで、23才から十数年日本に住んだ私には逆カルチャーショックに対面しました。引っ越し後間もなくマスターバスルームを改装し、見つけうる限りで深い浴槽を選びました。前のものよりはマシになりましたが、日本の通常の深さの浴槽はいまだに見つかりません。

アメリカ人と日本人のサイズを考えて、なぜアメリカの浴槽は恐ろしく小さく浅いのだろう、といまだに不可解です。文化的な違いとしか言えないのでしょうが。


今年はウサギ年で私の年です。それはいい事だと思っていたのですが、中国文化に精通した友人は反対の事をいいます。自分の干支の年は実は良くないのだ、と。中国では悪い年にあたった人は赤を着るそうです。「私のワードローブの中に赤はそんなにないので、お風呂を赤くしようかな」とジョークを言うと、ほかの友人が「どうやらレッドワインをお風呂に入れるといいらしい」と言いました。日本酒は聞いた事あるけど、赤ワイン??とりあえず私は、赤ワインを飲みながら浴槽につかっていようと思います:-)

(文/MONDAY満ちる)

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