湯煙コラム


■川原和子(かわはら かずこ)
「高級老舗旅館で異文化温泉体験」


川原和子(かわはら かずこ)

先日、ある地方の高級老舗旅館に泊まった。ふだんは十円二十円に一喜一憂しているケチな私としては破格の贅沢だが、その地方で一人暮らしをしている祖母(九十歳!)をたまには喜ばせよう、という企画だったので、思い切ったのだ。祖母、母、伯母、義妹(私の弟の妻)という、三十代から九十代までの「女子」お泊まり会である。

その宿には素敵な温泉があるというので、到着時間がバラバラというのもあり、他のメンバーを待ちきれない私はワクワクしながら一人大浴場にむかった。すると時間が早いせいか、そこにいたのは西洋人とおぼしき若い女性が一人だけ。なんとなく隅っこで、もそもそ服を脱いでいると、彼女に突如英語で話しかけられ、温泉の入り方について質問されるではないか。弱気な笑顔を浮かべつつしどろもどろに「ノー!バスタオル、ノー!」(「バスタオルをもちこんではいけません」の意)などと、身振り手振りを交えて必死でレクチャーをした。

まさかほとんどしゃべれない英語でお風呂の入り方を教えることになるとは…。人生、どこにどんな危機があるかわからんわい。と焦りつつ、気を取り直して一度目の入浴を堪能した。しかし、せっかくの温泉だからと、夕食後にまた一人大浴場にむかい、お湯につかっていたときである。ほどよくなごみつつふと壁の方を見ると、とんでもないものが目にとびこんできた。

その浴場は、温泉によくあるように、壁際にずらりとシャワーが備え付けてあり、それぞれの前に洗面器やシャンプー類が置かれ、シャワーで体を洗ってから湯船につかる形になっていた。通常は皆、壁に向かって(つまり、中央の湯船には背を向けて)体を洗っている。だがそこにいる西洋人の若い女性は、どうも洗面器を置くための段差を椅子だと勘違いしたらしい。なんと段差に腰掛けて、こちら(浴槽の方)に体の正面を向けて、ニコニコしながらシャワーを浴びていたのだ。

老舗温泉の広い浴槽にのんびりとつかっていたはずの私は、気がつくと、西洋の全裸の若い女性とばっちりと目が合う形になっていた。しかも彼女は上半身の正面を、湯船(に入っている私)に見せつける形で、笑顔でシャワーを浴びている、という、予想もしないシュールな状況。

ど、どうしよう…。でも、満足げな彼女にいまさら「そこは椅子じゃないですよ」と片言の英語で言うのもなんだかはばかられ、目のやり場にこまりつつ逃げるようにお湯からあがってしまったのだった。地方の名門温泉旅館のお客さんの、意外な外国人率の高さにも驚いたが、異文化故とはいえ奇妙な体験であった。

現代の西洋では、ひょっとすると若い彼女のように温泉の入り方なんて知らない人がほとんどなのかもしれない。だが、古代ローマには温泉をこよなく愛する人たちがいた、というマンガがいま、話題になっている。ヤマザキマリの『テルマエ・ロマニ』(エンターブレイン)だ。

ローマ帝国の建築技師であるルシウスが、公衆浴場の設計について悩むうちに、なぜか時空を超えて現代日本のお風呂にタイムスリップしてしまう(それも、入浴中に!)というこの作品。毎回、はるか未来にタイムスリップしている自覚がないルシウスは、日本の風呂文化に驚愕し、そこから浴場設計のインスピレーションを受け続ける。大まじめなルシウスの姿にときに大笑いしつつ、彼のお風呂への情熱と愛には、二千年の時と国と骨格の違いを超えて、親近感と連帯感をもたずにはいられない。

マンガの中では、タイムスリップしてきたルシウスに、日本の公衆浴場を利用する人たちはおおらかに、そして親切にお風呂作法を伝授してあげていた。私も、あの高級温泉でそうできればよかったのに…と己の中途半端な内気さを悔やみながら、しかしもしまた同じ場面に遭遇しても、やっぱり湯船のほうに体を見せつけてニコニコしながらシャワーを浴びていた彼女には、何も言えなくなりそうな曖昧な日本人の私なのであった。

(文/川原和子)

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