◆湯煙コラム◆
■木村祐一
「お風呂で考える○○」
何も考えないためのもの、それが風呂っちゅうもんではないのか。
このコラムへの執筆依頼がきたときの、まずは率直な感想である。
大体において、私は自分以外の人間や物事に対し、頭が堅い。
それは、“笑い”というものの構造が、対象となるもの、扱うものについて、ある意味、「決めつけ」なるものを基にして成り立っていると考えられるからである。
ほら、また堅いでしょ。
例えば、師匠と弟子のコントがあるとする。
弟子は師匠に抗えない、という前提や、師匠は多少の無茶を言うし、時には仕事内容とはかけ離れた用事を頼んだりもする。
そういった「決めつけ」があるから、弟子が暴言を吐いたり、平気で師匠をド突いたりすると、それが「ボケ」となり、笑いが生まれるのである。
師匠が合コンのセッティングを頼んだりね。
(あり得るが、これは)まぁ、私の「決めつけ」る理由はこれくらいにしておく。
さて、風呂である。
10才の時に親が一戸建を買うまで、アパート暮らしだった木村家は、銭湯通いであった。
9才の木村少年は銭湯に行く度に考える事があった。
それは、「家がお風呂やさん(当時はこう呼んでいた)の子は、店のお風呂に入るんやろね?」という事である。
もし入るとしたら、その家の親は、一体何時頃、子供達を入れるんだろう。
客が全て帰った後?それでは小、中学生にしてはあまりにも遅過ぎる。
ならば開店前?いいや、入り口にたまる、一番風呂を楽しみにしている老人達を思う時、実はその前に思春期の若者を先に使わせている、という事実を秘密にできるほどの悪人であったなら、銭湯経営などやってはいけないだろう。
ではいつなんだ!!本当はわかっているんである。
生活スペースにも、普通の家と同じような風呂があるであろうということは。
でも、それでは面白くもなんともないではないか。
妄想は金だ。
なんちゅう格言があったかなかったかは知らないが、木村少年にとっては、そんな時間がたまらなく心地良かったんである。
同時に、妄想からの連想が始まる。
漁師さんは魚を食べる。
それどころか、一番うまいところを知っている。
中華料理店の子は、あっさりしたものが好き、と言っていた。
散髪屋さんの子は、家で散髪してもらっている。
歯医者さんの息子に虫歯があった。
ふとん屋さんの子は、ベッドで寝ているという。
パン屋さんの子は、朝はやっぱりパンを食べてくるらしい。
では木村少年は?家の商売は、留袖の柄に金加工を施す仕事である。
生活の中では殆んど関係ない。
だからか。
だから他の商売の人の生活が気になるのか。
それにしても、自分ちの商売を生活に利用したり、毛嫌いしたりするのは、個人の好みなんだなぁ。
などと、考えにふけっていた木村少年を、およそ30年たった今頃になって思い出している。
これが、私がお風呂で考える○○である。
(文:木村祐一)
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