◆湯煙コラム◆
■南美希子
「私と息子のバスタイム」
独身時代は“シャワー派”だった。
家ではもっぱらシャワーを浴びるだけ。
お風呂といえば、スポーツジムでプールわきのジャグジーにつかるくらいだった。
時には汗がしたたり落ちるようになるくらい長く暖まりながら、メンバーのオジサマ、オバサマ方と世間話に興じる。
あの一時はなかなか楽しいものだった。
男性の話題は、大抵、為替・政治・ゴルフな一方、女性が花を咲かせるのは、ブランド・レストラン・旅行の話。
男女でくっきり色分けされるところが、なかなか興味深いが、当時メンバーの中ではまだ若手だった私は、相槌を打ちながら、どちらの話題にもソコソコお相伴していた。
さて、そんな私も遅めの結婚をして、高齢出産の末、母親となった。
子供を授かって以来、大きく変わったのが“お風呂習慣”である。
この6年半近く、一日たりとてお風呂に入らない日はないと言ってもいい。
もはや、お風呂につからなくては一日が終わらないくらいだ。
何てったって子供はお風呂が大好きだ。
新生児の頃から沐浴をさせると、それはそれは気持ち良さそうに目を細めていた。
「今日は疲れているから、おフロやめようか」なんて言おうものなら、大ブーイングが返ってくる。
だから知らず知らずのうちに私自身も“お風呂派”に転身した感じだ。
やんちゃ坊主とのお風呂は、とにかくかまびすしい。
ゆっくり何かを考えるなどということはとても覚束ない。
やれ、「ゆっくりつかれ」だの「早く髪を洗わせなさい」だの、終始怒鳴っていないといけない。
とはいえ、髪も身体もすっかり洗浄した後、子供と二人で湯舟につかる一時はこれ又格別だ。
タイルに貼ってある九九を一緒に呼んで暗記することもあれば、同じく貼り付けた日本地図を見ながら、「明日、君と一緒にこの北海道の洞爺というところにいくのよ」なんて説明しながら二人で旅情に思いを馳せることもある。
時には、子供がその日に学校であったことをポツリポツリと語り始めることがある。
お風呂という解放された空間のせいか、たとえ先生から注意を受けたことでさえ、子供は素直に話してくれる。
親子のコミュニケーションの大切さが一層叫ばれる中、子供との“お風呂タイム”は、私にとって、かけがえのない一時なのである。
(文:南美希子)
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