湯煙コラム


■飯星景子
「お風呂は私の心のバロメーター」


飯星景子

お風呂に何日も入らないギャルが増えていると聞いて、もうどのくらい経つだろう。


それ以前は、病的に清潔好きな若者が最近多いという記事を読んだ憶えがある。

病的に清潔から、顔も洗わないギャルに。

こっちが確実に年齢を重ねている間に、少女達を取り囲んでいる彼らにしか共感されないある気分は刻一刻と変化しているらしい。


そういえば、わたしが子供の頃は2日に1回くらいしかお風呂は沸かさなかった。

どこの家でも多分、それが普通のことだった。


じゃ、わたしはいつから毎日お風呂に入るようになったのだろう。


あれは大学に入学して、一人暮らしを始めた頃だ。

小さいながらもたった一人の自由な空間。

時同じくして、わたしは恋をした。

初めての一人暮らしに初めてのボーイフレンド。

お風呂に入ると便器まで水浸しの狭いユニットバスだったけど、毎日お風呂に入りたくなるのは当たり前である。


時代はまさにバブルに突入。

それまで、思いもよらなかったアイテムや習慣や常識が堰を切ったようになだれ込んできた。

朝シャン、ジャグジー、ヨーロッパの入浴剤、目の玉が飛び出るほど値段のする高級シャンプー、上質なバスローブ。

実家でもいつのまにか、毎日入浴するようになっていた。


とりあえず、その頃はトイレとバスルームが別々になることが当面の目標だった。

大学を卒業し、働き始めたわたしは念願かなって単独のバスルームを手に入れた。

古びたそのお風呂は、水からガスで沸かすタイプ。

けれど相変わらずエアコンも買えない生活に、夏の昼間はよく溜めたままの水をかぶってしのいだっけ。


今ではもちろん、わたしはエアコン付の部屋に住み、上質なバスローブも入浴剤も買うことが出来る。


けれど、1年に2回くらい「夕べもお風呂に入ったのに、また今日も入らなきゃならないんだ」とつくづく不思議に、そして面倒くさくなる時がある。


そしてそう思うのは自分が精神的にひどく追い詰められている時だと知っている。

いわば軽い鬱状態ってやつ。


最近のお嬢さん達は、それをほぼ毎日感じているのかも、と思うとなんとなく合点がいく。

外に出かける気はあるのだから、ホンチャンの鬱ではあるまい。

けれど、お風呂に入る、という自分をホッとさせる事には興味を持てない。

そこには自分自身に対する絶望感を微かに感じてしまう。


お風呂はわたしにとって手っ取り早い精神鑑定の場である。

気分よく入浴できれば落ち着いているし、めんどうくさいと思うとそれは、心がどこかでSOSを発信している証拠なのだ。


汚ギャルと呼ばれる少女達が喜んでお風呂に入りたくなる日が来るようにと、親でもないのに、わたしは実は願ってやまない。

(文:飯星景子)

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