◆湯煙コラム◆
■高木美保
「家の風呂の良さ」
「田舎暮らし」という言葉を聞くと、ほとんどの人が、そこはかとなくロマンティックな気分になるらしい。
視線を遠く漂わせて、「うらやましいですねえ」と溜息をつく。
自分の今の暮らしが話題に登るたびに、そんな表情に出会うのはちょっと嬉しいことである反面、日本人は疲れているのだなあと心配にもなる。
“癒し”が、まるでアイドル歌手の名前のように連呼されるようになってきたのも、そんな時世の現れだろう。
私の住む栃木県の那須高原でも、休日になると、木立の中をそぞろ歩く観光客がよく目につく。
年齢はさまざまだ。
若い人達のグループから熟年夫婦らしい二人連れ。
ちょっとわけあり(?)な感じの男女など、思わずあとをつけて行きたくなる人もいるが、彼らが必ず向かうのは、あちこちに湧く温泉なのだ。
私もこちらに引っ越して来て、何より嬉しかったのが、この地元の温泉だった。
都会育ちの身である。
ご多分に洩れず、「田舎暮らし」と聞けばうっとりとなり、疲れ切った体を労る為、一大決心をしてこの地に家を建てたのだった。
今では毎日、近くの露天風呂で一日の汗を流している。
去年の夏のこと、いつものようにのんびりとお湯に浸っていた時だった。
突然、雷鳴が轟いたかと思うと大雨が降ってきた。
こういうことは那須ではよくあるので始めは気にもしないでいたのだが、次第に雨足は強くなり、遂に風呂の回りが小さな池のようになってしまった。
泥混じりの水が、湯舟の中にまで流れ込んで来る。
ちょっとマズイかなと思ったその時だった。
閃光と共に、すぐ近くに雷が落ちた。
爆弾が破裂したような大音響に呆然となったまま、何十秒か過ぎたと思う。
今度はいきなり、体がビリビリと痺れてしまった。
なんと雷が、あたりに留まった雨水を伝って露天風呂の中まで走って来たのだ。
私は前を隠すのも忘れ、あわてふためいて外に飛び出した。
こうなるともう田舎のロマンも温泉の癒しもあったもんじゃない。
風呂に入るのも命がけ。
山の自然の恐さを思い知った経験だった。
以来、「風呂はやっぱり露天にかぎる」と言った後、「でも、安心なのはおうちのお風呂」と付け加えるようになった。
考えてみれば、毎日お世話になっていたというのに、今まで家風呂に対してあまり感謝の意を表して来なかった気がする。
ぬるめのお湯に浸りながら読書したり、つらいことがあった日は、こっそり涙を流したり、時にはプ〜ッとおならをしてしまったり。
私の全てをまるごと受けとめ、慰めてくれ続けた家のお風呂、改めてどうもありがとうごさいました。
(文:高木美保)
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