湯煙コラム


■なぎら健壱
「我が家の風呂の壁」


なぎら健壱

家を新築するにあたって、風呂場だけは贅沢にしようと考えた。

風呂場は一人になれる数少ない空間であるとともに、そうした時間が持てる貴重な場所でもあるからである。

しかしそこで、はたと思い悩んでしまった。


一体、贅沢な風呂場とは、どんな風呂場を指して言うのであろうか、ということである。

今様な、ジェット噴流式の浴槽を備えたもの?あるいは、総ヒノキの風呂?確かにそれもいいだろうが、時が過ぎてそれに慣れてしまえば、それは贅沢な風呂とは言えなくなってしまう。

贅沢なものが慣れで贅沢でなくなれば、反対にそれはお金をかけた分、贅沢なものであるのかもしれないが、どうも何かが違う。


考えた挙句出た結論は、銭湯で見かける、富士山等のペンキ画である。

あのペンキ画が自宅の風呂場の壁いっぱいに描かれていたら、これは贅沢に違いない。

しかし、あのペンキ画は何年かで描き直しをしなくてはならないのを知っている。

それよりもどこにペンキ画を発注したらいいのか、分からない。

銭湯のペンキ画の職人さんを捜し出すことも可能であろうが、果たして家庭の風呂場にペンキ画を描いていただけるかどうか……考えあぐねてしまった。


それならば、そうした絵が描かれているタイルを捜せばいいではないか。

それを工務店に相談すると「そうしたタイルもないことはない」と言う。

しかし工務店の方は「アクリルの壁を考えていたんですが、一面がタイルとなる、他もタイル張りにしなくてはならないですね」と言う。

「大変ですか?」
「まあ、大変というか……やはり手間とお金がかかりますよ、それより……」

私はその口篭った言葉を察することが出来た。

「何のためにそんなことするんですか?」


そう言いたかったに違いない。

私はとくとその理由を説明しようとも思ったが、一笑に伏されそうなのでやめてしまった。


で、結局、私もそれを無理強いすることもなく「普通の壁でいいんですね?」の、工務店さんの言葉にうなずいてしまった。


よって、我が家の風呂はなんの変哲もない、普通の風呂場となってしまった。


そして私はその孤独になれる空間で何をしているかというと、ひたすら本を読んでいるのである。

湯船に浸かりながら、両手を外に出し文庫本を読んでいる。

疲れて時折、目をアクリルの壁に向ける。

そして思うのである。

「やっぱり、富士山が欲しかったな〜」と……。


(文:なぎら健壱)

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